詐欺の発生〜黎明期〜

どうも〜、みっちゃんです┌(_Д_┌ )┐

前回の続きということで、今日から歴史を辿っていきます(´∀`*)

というのは、現在の資本主義というシステムには【自由民主制】というものが必要不可欠になっていきますので、そこもひとまずは説明しておきます。

まあ、どうやって自由民主制が出来たかって話は、現在の学校教育でも教えてるから説明せずとも知ってはいるのでしょうけどw

とりあえず、始めて行きます。

中世以降の欧州では商業が発達していったため、マネーが大きな力を持つようになっていきました。

当初はイタリアやスペインが本拠地だった国際銀行家も、大西洋貿易の発展と共にオランダへと本拠地を移していきました。

スペインでは、ローマ教会による異教審問などの恐怖政治もあり、宗教に寛容だったオランダに逃れるユダヤ系の銀行家が沢山いたようです。

そのため、オランダは国際銀行家の本拠地として発展していきました。

1609年には世界初の公立銀行としてアムステルダム銀行を設立。

さらに彼らは隣国のイングランドにも本拠地を移していきます。

ポルトガルなんかも当時は強国だったんですが、それもやはりユダヤ系の影響だったそうです。

ユダヤ系の行くところというのは、どこもかしこも経済的発展を遂げていく…(しかし、悪事が明らかにされて、その度に国から追い出されていたようですが)まあ、この辺の理由も後に説明していきます。

ちなみに金貸しを生業としていたユダヤ人は忌み嫌われていたようで、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」なんかを読んでも、そのあたりはよくわかるかと。

話を戻しましょうw

封建制では君主や貴族に支配される側の身分だった銀行家は、反金融資本的なイングランド王政を打倒するために英国の清教徒革命(1649年)に資金援助をしました。

この援助を受け、革命に成功した指導者クロムウェルは、1657年に1290年の追放布告以来、350年ぶりとなるユダヤ人の入国を認めました。

しかしクロムウェル死後には、また王政が復活。

だが、間もなく起きた1688年の名誉革命で、当時の銀行権力の本拠地であった2万人のオランダ軍により、イングランドは征服されてしまう。

この革命により「国王は君臨すれども統治せず」という君主制を制限した議会政治に基づく立憲君主制が確立。

こうして議会を中心に国家を運営していく現代の民主政治の起源が生まれます。

そして、この17世紀末に、民間の銀行家達は遂に中央銀行システムを作り出します。

初めに創設されたのは、スウェーデンのリスクバンクだったが、世界に影響力を与えられるようなものではなかったそうです。

現在の中央銀行システムの元祖と言われているのは、1694年に作られたイングランド銀行になります。

設立のきっかけになったのは、イングランドとフランスが戦争を行い、イングランド国王が金欠に陥った時でした。

その時に民間銀行家とその仲間であったスコットランドウィリアム・パターソンは戦争資金を貸し出す交換条件として以下の提案を行いました。

・紙幣の発行権を認めること

・政府の銀行になること(国債を購入する)

・戦費を貸し付ける代わりに、国は8%の利子を払う

・預金業務を認める

資金がどうしても欲しかった国王はこの条件をのみ、イングランド銀行の設立を許可。

政府にとっても、経営に関与した銀行家たちにとっても、中央銀行の創設は大きな意味がありました。

それまで政府は、戦争の原資の多くを国民からの税の徴収などに頼っていたが、中央銀行設立以来、戦争の財源は銀行に頼れるようになった。

銀行家たちにとっても、国家は貸付先として信用のある相手であり、良い投資先でありました。

もちろん政府は銀行の経営には関与できません。

民間の銀行家たちによる株式会社として設立された「民間が所有する中央銀行」としてイングランド銀行は発展していきます。

こんな経緯で政府が金融政策に関わらないという奇妙な社会制度が作られていったのです(´_` )

政治と通貨発行権が分離したこの時から始まり、これを起源に世界各国に中央銀行は作られていきます。

今日はこんなとこにしときましょうかね(´∀`*)

次回からは、いよいよ産業革命に入っていくのですが、利子付き貨幣がその発展に大きな力を与えていった要因の説明から始めていき、綴れるところまで綴っていくとします。

ではでは〜ε”ε”ε”(ノ´・д・)ノ