Everyday再考?

さて、私は当初「Everyday」という曲の面白さの「肝」が掴めなかった、と書きました。ノヴェルティ・ソング(風味の曲)として聴いた場合、この曲は冗長にすぎるのです。あれはBメロでいいのでしょうか、まあそうとしか呼びようがないのでそういうことにしておきますが、要は「You make me happy everyday」のところ、あのパートに16小節も費やしています。まだるっこしいことこの上ありません。この緩衝地帯のようなBメロを挟むことで、Aメロとサビの「落差」の効果は著しく減殺されます。ノヴェルティ・ソングの文法からすると、これは致命的な欠陥です。当意即妙がノヴェルティ・ソングの命だからです。「If you wanna」が思い切った単純さに徹しているだけに、えーっとこっからどーゆーふーに展開しよっかなー、とあくびを噛み殺しつつ考えあぐねている風のこの曲のBメロは、いかにも不経済に思えます。ところが、何度も聴くうち、この停滞し宙に吊られた16小節が、実はこの曲の「肝」ではないか、と感じられるようになったのです。別稿で「If you wanna」を「失敗作すれすれ」と評しました\xA4

❶△海龍覆砲眛瑛佑離好螢襪魍个┐泙后\xA3

私は、音楽を聴くに際して「作者の意図」を忖度する必要を全く感じません。それよりも、作者同士お互いに知りもしないはずの二つの楽曲が、思いもかけぬ場面で共鳴を始める、という現象の方にポップ・ソングの面白さを感じます。中田ヤスタカがバリー・マン植木等を意識したはずがありませんが、私が無理矢理その関係をこじつけるのは、フューチャーベースやトロピカルハウスとの関係なんて話よりそっちの方が断然面白い、という確信があるからです。ただ、今回はその節を曲げて、ちょっとばかり「中田ヤスタカの意図」に考えを巡らせてみたいと思います。

(ちなみに、前回の日記でWho Put The Bompという曲の「作者の意図」に触れていますが、バリー・マンとジェリー・ゴフィン自身はその制作意図を語るなんて愚かな真似はしていません。あの文章は、19世紀のオペラのアリアと20世紀のドゥーワップの語彙が、馬鹿げたノヴェルティ・ソングという「思いもかけぬ場面」で遭遇し再生された事例の面白さを語ったにすぎません)

EDM界隈の用語に「ドロップ」というものがあります。この言葉の簡潔な定義があれば引用しようとググってみたのですが、「曲が一番盛り上がるところ」「派手なリードシンセやスネアロールの後にかまされる、音数の絞られたシンプルなビート」、酷いのになると「サビのことです」とかもうむちゃくちゃです。最初のと二番目のなんてほとんど対義語です。まあただの流行り言葉に音楽的定義を求める方が間違ってるのかもしれません。個人的には、dropの語義からいって二番目のやつが近いのかなと思います。つまり曲の調子をいったんアゲておいて「落とす」というニュアンスです。

百読は一聞にしかず。ドロップについて述べた複数の文章で代表例として挙げられていた曲を貼ります。1分30秒からの音数少ないリフがドロップです。これを聴くと「ドロップ=サビのこと」という定義もある意味正しいことが分かります。

Martin Garrix - Animals

https://youtu.be/gCYcHz2k5x0

このドロップの手法に中田ヤスタカが最も生々しく反応した例が次の曲だと思います。

Perfume「Display」

https://youtu.be/JCK7THejI0s

2014年の曲ですからもう3年近く前になります。初めて聴いたときは、なんじゃこりゃ、でした。二度目も十度目も、なんじゃこりゃ、でしたけど。ヴァース(前回述べた「前歌」の意味です)がくっついてて、続いてイントロが…と思ったらこれがいつまで経っても終わらない。で、フウウウ〜とヴォカリーズの入る曖昧なパートがあって、その後「まとも」な展開になるのを待っているとそのまま終わってしまう。当時は「ドロップ」なんて概念知りもしませんでしたから、曲構成すら把握できなかったのです。ドロップを「サビの部分が平板なインストに置き換わっている」と噛み砕いて解釈してしまえば、冒頭の歌メロ部→ヴァース(こちらは「平歌」の意味)、インスト部(ドロップ)→コーラス、ヴォカリーズ部→ブリッジ、というシンプルな構成が2度繰り返されている(一番と二番がある!)ことが分かります。では、中田ヤスタカの「真意」が掴めた今、こんなナウいことやってたんだねヤスタカごめん、と反省するかというと別にしません。「海の向こうで流行っている音楽」の語彙を咀嚼せずそのまま持ってきたところで、面\xC7

鬚げ山擇❹任④襪錣韻任呂覆いǂ蕕任\xB9(とはいえ「Display」は嫌いではありません。Animalsの酷さに比べるとはるかにチャーミングな曲だと思います)。

このとき中田ヤスタカの真意を理解できた人間が少なかったせいでしょうか、ヤスタカ流ドロップの手法はその後、極端な違和感を緩和する方向に洗練されていきます。いや、ここは「洗練」ではなく「変化」くらいのニュートラルな表現にしておきましょう。

Perfume「Miracle Worker」

https://youtu.be/AwmVdVxs7KA

「サビの部分がインストに置き換わっている」というざっくりとした解釈はそのままに、その内実は大幅にヤスタカ流に「咀嚼」されています。平坦なシンセ・リフはキャッチーになり、しかもイントロ→Aメロの間もずっと持続しているため曲としての連続性が保たれています。この「曲としての連続性が保たれている」という点で、海の向こうで流行っているドロップとは根本的に意味合いが変わっちゃってるように思います。曲中に断層を設け、ひたすら単調なリフでダウナー系の快楽に浸る、というドロップの「意義」は失われ、単に「反復するリフの面白さ」といったものに還元されているからです。洋楽の語彙を移植するときに生じるこうした「誤訳」は和製ポップスによくあることですが、中田ヤスタカの場合は半ば以上意図的な気がします。ややフィクシャスな言い方になりますが、彼にとってドロップの音楽的意義などどうでもいいのでしょう。ネタとして使える部分をその都度抽出しているだけで。たかだか流行り言葉にすぎないものの定義に熱心な方は激怒したり噴飯したりと忙しいことになりそうですが、私はこのくらい融通無碍でいいと思います。そんなことより私が面白

いと思うのは、ここでのリフの反復が、上述した理由で本来のEDMの文脈から乖離しているのみならず、「サビの歌メロがゴッソリ抜け落ちている」という点でJポップの文脈からも離脱し始めている、ということです。「Miracle Worker」や「Next Stage with YOU」の楽曲構造はもろJポップですが、歌のパートが少なく、しかもその半分はアーだウーだのヴォカリーズで占められるため、カラオケで歌うには全く適しません。そしてこの「カラオケで歌えない」という特質は、今回のシングル両面2曲でさらに徹底されています。これまでPerfumeの(アルバム曲はともかく)シングル曲は、Jポップの文脈にきれいに収まることを是としてきたように思います。一方今般の中田ヤスタカは、曲として「きれいにまとめる」ことにもはや関心を失っているように見えます。

ようやく本題の核心に近づいてきましたが、今回はここまでにしておきます。

[つづく]